横手城跡(よこてじょうあと)
[史跡]
横手城(朝倉城)は、1550年頃、現在の秋田県南部に勢力を築いた戦国大名小野寺氏によって造られたと伝わる。横手城は前を横手川が流れ、背後は奥羽山脈へとつながる山々によって護られる、天然の要害に建てられた平山城である。城を取り巻く急斜面には石垣を築く代わりに韮を植え、土くずれを防止するとともに、敵の足元を滑らせて這い登ることができないように工夫されており、別名を韮城ともいう。
慶長6年(1601年)、城主小野寺義道は関ヶ原の戦いで西軍についたとみなされて所領没収、石見国(島根県)へ流された。翌7年、水戸から秋田へ国替えになった佐竹義宣は、本城である秋田久保田城の支城として横手城を位置づけ、城代を配した。初代城代には伊達盛重(政宗の叔父)が任命され、続いて須田氏、戸村氏へと明治に至るまで代々城を護り継いだ。しかし、慶応4年(1868年)戊辰戦争で新政府側についた秋田藩は近隣諸藩の侵攻を受け、横手城も庄内藩や仙台藩の大軍に攻められ炎上、8月11日ついに落城した。
明治12年(1879年)かつての本丸跡には、藩主佐竹氏を祀る秋田神社が、二の丸跡には昭和40年(1965年)天守閣型展望台が建てられ、市民からお城山と呼ばれ親しまれている。
[秋田県横手市]